名探偵シャーロック・ホームズの名前、あれってどこから来たか知っていますか。作者のコナン・ドイルは、実は本気でクリケットをやっていた人物で、しかも「クリケットの神様」と呼ばれた伝説の選手からウィケットを奪ったことがあるんです。
今回は、そんなコナン・ドイルの知られざる「もう一つの顔」と、彼が対決した伝説の怪物クリケッター、W.G.グレースにまつわる雑学をお届けします。
※本記事の画像はAIで生成したイメージです。実際の人物や試合の様子とは異なる場合があります。
「シャーロック」という名前は、クリケットから来ていた?
世界中の名探偵として知られるシャーロック・ホームズ。生みの親は、医師でもあり作家でもあったコナン・ドイル(サーの称号を持つため、正式にはサー・アーサー・コナン・ドイル)です。ちなみにこのシャーロック・ホームズ、聖書に次いで世界で2番目に売れた本とも言われるほどの、大英帝国時代の大ベストセラーでした。
この名探偵の名前、実は2つのパーツに分けて考える必要があります。「ホームズ」と「シャーロック」、それぞれ由来が違うのです。
「ホームズ」の方は比較的知られた話で、アメリカの医師で随筆家でもあったオリバー・ウェンデル・ホームズから取られたとされています。コナン・ドイルの母親がこの人物の大ファンだったそうで、医師でありながら文筆家でもあるという点は、コナン・ドイル自身とも重なります。
問題は「シャーロック」の方です。コナン・ドイル自身、こんな言葉を残しています。「ホームズは平凡な名前だ。ではシャーロックはどこから来たか。何年も前、シャーロックという名の投手を相手にクリケットで30ラン打ったことがある。その名前にずっと親しみを感じていたんだ」。つまり、クリケットの試合で対戦した相手の名前を、そのまま世界的な名探偵の名前にしてしまった、というわけです。
もっと凝った説もあります。研究者の中には、シャクロックというノッティンガムシャーの選手の名前が由来だと指摘する人もいます。最初は「シャクイン」のような並びを試したものの、しっくりこず、逆にしたら「シャーロック」になった、という話も伝わっています。いずれにせよ、クリケットがなければ、シャーロック・ホームズという名前は存在しなかったかもしれません。

コナン・ドイルは「449試合」の男だった
コナン・ドイルは1859年、スコットランドのエディンバラ生まれ。医師として出発し、作家として大成した人物です。もっとも本人は、シャーロック・ホームズを自分の代表作とは思っておらず、もっと重要な歴史小説や科学書を書いていると自負していたそうです。そんなコナン・ドイルはホームズの人気に嫉妬して、人気が出すぎたホームズを小説の中で一度崖から落として亡き者にしてしまった、というのは有名なエピソードです(読者の猛反発を受け、結局生きていたことにして復活させています)。
そんな作家としての顔とは別に、コナン・ドイルは無類のクリケット好きでもありました。14歳でクリケットを始め、53歳になるまで現役を続けたというから驚きです。生涯で出場した試合数はおよそ449試合、所属したチームは50以上にのぼります。トップレベルにあたるファーストクラス(一軍)の試合にも10試合出場しており、最高得点は43点でした。
ボウラー(投手)としてのファーストクラス通算成績は、なんとウィケット(アウト)わずか1つ。しかし、この「たった1つ」が、クリケット史に残る大事件だったのです。
伝説の一球——「クリケットの神様」を打ち取った日
1900年8月25日、ロンドンのクリスタルパレス。コナン・ドイル、当時40歳。南アフリカでのボーア戦争から軍医として帰国したばかりで、ファーストクラスの試合にデビューしたばかりの身でした。
相手チームのバッターとして打席に立っていたのが、W.G.グレース。「クリケット界の神様」と呼ばれる、伝説的な選手です。この時グレースは52歳。すでにこの試合で110点というとてつもない大量得点を稼いでいました。
コナン・ドイルは祈るような気持ちでボールを投じます。グレースは最初の2球をあっさりといなしましたが、3球目、まさかまさかの展開が起こります。グレースがボールを打ち上げてしまい、キャッチされてアウトになったのです。これがコナン・ドイルの、ファーストクラスにおける生涯唯一のウィケットでした。
コナン・ドイルは飛び上がって喜び、この出来事を讃える詩まで書いています。たとえるなら、野球未経験の子が一軍の試合に急遽登板し、いきなり伝説的な大打者を打ち取ってしまうようなもの。ちなみにこの一球については、なぜグレースほどの選手が打ち損じたのか、本人もコナン・ドイルも「誰も説明できない」と振り返っており、コナン・ドイル自身、詩の中で「いかなる推理もこの謎を解き明かせない」と書き残しています。名探偵の生みの親をして「謎」と言わしめた出来事だったわけです。

「作家チーム」という名の、豪華すぎるクリケットチーム
コナン・ドイルが参加していたチームの一つに、「オーサーズ・イレブン(作家イレブン)」というチームがありました。メンバーが豪華すぎることで知られ、『ピーターパン』の原作者ジェームズ・バリーや、『くまのプーさん』の原作者A.A.ミルン、『ジーヴス』シリーズで知られるP.G.ウッドハウスなど、ヴィクトリア朝の一流作家たちが集まって、わりと本気でクリケットに興じていたそうです。コナン・ドイルはこのチームを1899年から1912年まで率いていました。
ある試合では、コナン・ドイルが打席に立っていた時、ポケットに入れていたマッチ箱にボールが直撃してズボンが燃えてしまう、という珍事も。幸い会場に医者が2人いたため事なきを得たそうですが、シャーロック・ホームズの作者がクリケット中に炎上する、というのはなかなかの見物だったのではないでしょうか。
「クリケットの神様」W.G.グレースとは何者か
ここで少し、コナン・ドイルが打ち取った男、ウィリアム・ギルバート・グレース(W.G.グレース)についても紹介しておきましょう。1848年生まれ、1915年没。史上最高のクリケット選手と称えられる人物です。
グレースの現役期間はなんと44シーズン(1865年〜1908年)。ファーストクラスの通算成績は、実に54,000以上のラン(得点)、126回のセンチュリー(センチュリーとは1試合で100点以上の点を出すこと)、そしてボウラーとしても2,800個を超えるウィケット(アウト)を記録しています。バッターとしてもボウラーとしても、時代を超えた記録を持つという、まさに二刀流の怪物でした。
1週間で839点、47歳で1000点
グレースの伝説の中でも特に有名なのが、1876年8月の「魔法の1週間」です。わずか1週間の間に3試合に出場し、それぞれ344点・177点・318点と、合計839点を叩き出しました。344点はクリケット史上初のトリプルセンチュリー(300点超)で、それまで56年間破られていなかった最高得点記録を、この1週間で2回も更新するというとんでもない偉業でした。
もう一つの伝説が、47歳での大記録です。1895年5月、彼はひと月だけで1000点を超えるランを記録しました。当時のクリケット界最高の栄誉とされるウィズデン(Wisden:毎年発行される記録集)は、通常5人に贈られる年間最優秀選手賞を、この年だけグレース一人に贈るという異例の措置を取ったほどです。
医者でもあり、フェアプレイの人でもなかった?
グレースは実は医師免許を持つ医者でもありました。とはいえ本業はどう見てもクリケット。医学の勉強を始めたのは19歳の時で、免許を取得した頃にはすでに3人の子の父親になっていたそうです。あまりにも頻繁にクリケットのために学業を中断していたため、医師になるまでに大幅な遅れが生じたのだとか。
また、「クリケットの神様」と呼ばれる一方で、グレースは勝つためのズルや駆け引きを平然とやることでも知られていました。ある試合でウィケットにボールが当たり、本来なら明確にアウトのはずが、悠然と打席に立ち続け「観客は君の投球を見に来てるんじゃない」と言い放った、という逸話まで伝えられています。ある評論家は当時、彼のことを「神様と呼ばれながら、かなりの癖もの」と評していたそうです。
1899年、51歳でイングランド代表としての最後の試合を迎えたあとも現役を続け、66歳の時にはトップレベルの試合で69点という驚異の記録を打ち立てました。1915年、心臓発作により67歳で亡くなっています。クリケット評論家のデイビッド・フリスは、こう評しました。「グレースは何十年もの間、イギリスで最も有名な人物だった。その記録は今や破られている。しかし、クリケット第一人者としての彼の地位は、今も破られていない」。

まとめ|名探偵の名前に隠れていたクリケットの物語
シャーロック・ホームズという名前の裏に、まさかクリケットの対戦相手の名前が隠れていたとは、驚いた方も多いのではないでしょうか。
- 「シャーロック」は、コナン・ドイルが対戦したクリケット選手の名前が由来とされる
- コナン・ドイルは449試合、50以上のチームでプレーした本格的なクリケット愛好家だった
- 彼のファーストクラス唯一のウィケットは、「クリケットの神様」W.G.グレースだった
- グレースは44シーズンにわたり、バッターとボウラーの両方で歴史的な記録を残した怪物選手だった
ルールブックにも教科書にも載っていない、こうした「へえ」と言いたくなる話が、クリケットにはまだまだたくさんあります。気になった方は、ぜひ下記からもっと深い世界をのぞいてみてください。
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記事監修
松村 謙一郎(クリケット指導者・普及活動者)
日本全国を周りながらクリケットの普及活動を行い、2008年には国際クリケット評議会から日本人として初、史上最年少で、世界で33人目の功労賞を受賞、2009年にはこの100年間でクリケットに功績のあった「歴史上の世界の1000人」にも選ばれた。
これまで、30年以上日本全国で普及活動しており、出前クリケットやCriceTRYなどの体験会やイベントを通じ、初心者向け体験会や指導を行っている。