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クリケット雑学

クリケットの「聖典」ウィズデンとは?163年続く年鑑の歴史と伝説の受賞者たち

    クリケット界には、「聖典」と呼ばれる一冊の本があります。分厚さは電話帳並み、表紙は鮮やかな黄色。その名もウィズデン・クリケッターズ・アルマナック。1864年に創刊されてから一度も休刊することなく、今年(2026年)でなんと163回目の発行を迎えました。

    なぜこの本がそこまで特別扱いされるのか。中身には何が載っているのか。そして、この本をめぐる人間ドラマとは——。今回は、クリケットファンなら一度は耳にする「ウィズデン(Wisden)」の歴史と魅力を、じっくり掘り下げてみます。

    ※本記事の画像はAIで生成したイメージです。実際の書籍や人物とは異なる場合があります。

    ウィズデンとは何か? 163年続く「世界最長寿のスポーツ年鑑」

    正式名称は「ウィズデン・クリケッターズ・アルマナック(Wisden Cricketers’ Almanack)」。毎年イギリスで発行される、クリケットに関する年鑑です。

    誕生は1864年。イングランドのクリケット選手だったジョン・ウィズデンが、当時すでに存在していたライバル誌「ザ・ガイド・トゥ・クリケッターズ(The Guide to Cricketers)」に対抗する形で創刊しました。創刊当初のタイトルは「ザ・クリケッターズ・アルマナック」で、現在の「ウィズデン・クリケッターズ・アルマナック」という名前になったのは1869年発行の第6版からです。

    それ以来、二度の世界大戦をはさみながらも一度も休刊せず、スポーツ年鑑として世界最長の歴史を持つ出版物になりました。ちなみに創刊者のジョン・ウィズデンは小柄な体格から「リトル・ワンダー(小さな驚き)」というニックネームで呼ばれていたそうです。

    1500ページ超! 中身はどうなっている?

    現代版のウィズデンは、大きさこそ文庫本ほどですが、厚みは1500ページ超という驚きのボリューム。主に次のようなパートで構成されています。

    編集長ノート(Notes by the Editor)

    冒頭に置かれる論説パート。その年のクリケット界で話題になった論争や問題について、編集長が正面から意見を述べます。

    ファイブクリケッターズ・オブ・ザ・イヤー

    1902年から続く、年間最優秀選手5人の表彰。前年のイングランドの夏のシーズンでの活躍をもとに選出される、現存する中でも最も権威あるクリケットの賞のひとつです。

    全テストマッチのレポートとスコアカード

    その1年間に行われた国際試合(テストマッチ)のスコアと試合レポートがまとめて掲載されます。

    訃報欄

    その1年間で亡くなった、クリケットにゆかりのある人々を紹介するページ。文学性の高い文章で知られており、これを目当てに購入する読者もいるほどです。過去には、当時クリケット選手としてさほど有名だったわけではないものの、生涯400試合以上プレーしたという理由で、シャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルの記事が掲載されたこともあります。

    エッセー・特集記事

    ネヴィル・カーダスやジョン・アーロットといった、クリケット文筆界の名手たちによる寄稿が並びます。

    記録と統計のページ

    後半には、膨大な記録・統計データが延々と続きます。

    なぜ「クリケットの聖典」と呼ばれるのか

    ウィズデンが「聖典(Bible of Cricket)」と称される理由は、大きく3つあります。

    1. 歴史の長さと継続性

    1864年の創刊以来、戦争中も含めて一度も休刊していません。おかげで19世紀以降のあらゆる一流試合の記録が、途切れることなく一冊ずつ積み重なっています。

    2. 編集の独立性

    スポンサーや競技団体に忖度しないスタンスも特徴です。編集長ノートでは、ICC(国際クリケット評議会)やECB(イングランド・クリケット・ボード)、近年ではインドのBCCI(インド・クリケット協会)といった、時の権力に対しても遠慮なく意見を述べます。実際、2026年版でも編集長のローレンス・ブースが、インドのクリケット界における政治的影響力の増大について踏み込んだ論説を寄せています。

    3. 文章の質

    単なる記録集ではなく、「クリケット文学」として読める点も評価されています。イギリス国内では、ウィズデンの発売日は季節の風物詩のような扱いを受けており、あの黄色い表紙は今や「The Big Yellow Book」という愛称でも親しまれています。

    この象徴的な黄色い表紙が採用されたのは1938年発行の第75版から。同じ年、イラストレーターのエリック・ラビリアスによる2人のクリケット選手を描いた木版画がカバーに初めて登場し、これが現在まで受け継がれるデザインの原点になりました。

    2026年版の注目ポイント

    今年発行された2026年版では、次のような選出・話題がありました。

    • 男子年間最優秀選手:ミッチェル・スターク(オーストラリア)
    • 女子年間最優秀選手:ディープティ・シャルマ(インド)
    • 年間9つの主要タイトルのうち、7つをインド勢が独占

    また、訃報欄では著名な審判の追悼記事をデレク・ブリングルが執筆するなど、話題を呼びました。発売日は2026年4月15日(水)。ウィズデンは毎年4月、イングランド国内シーズン「カウンティ・チャンピオンシップ」の開幕直前に発行されるのが恒例で、これが「ウィズデンの季節」=クリケット界の春の風物詩として定着しています。野球でたとえるなら、シーズン開幕直前に、前年を振り返る記録本が発売されるようなイメージです。

    ライバルにして先駆者——フレッド・リリーホワイトという人物

    ウィズデンが対抗心をむき出しにして創刊したライバル誌「ザ・ガイド・トゥ・クリケッターズ(The Guide to Cricketers)」。この元祖クリケット年鑑を作ったのがフレッド・リリーホワイトという人物です。

    1829年、イングランド南部サセクス州生まれ。父ウィリアム・リリーホワイトは名ボウラーとして知られた人物で、兄ジョン・リリーホワイトもクリケット関連の出版で名を残しています。甥のジェームズ・リリーホワイトに至っては、メルボルンで行われた史上初のテストマッチでイングランドを勝利に導いた人物というから、まさにクリケット一家です。

    面白いのは、フレッド本人の選手としての実績はほぼゼロだったという点。公式記録に残る出場試合はたった一度、1851年の試合で得点はゼロだったといいます。しかし彼は「プレーより商売と出版の人」でした。まだ20歳にもならない1848年、わずか32ページ・1シリング6ペンスという薄い冊子として「ザ・ガイド・トゥ・クリケッターズ」を創刊。ルール解説や前シーズンのレビュー、選手の短い経歴や打撃平均といった、のちのウィズデンにつながるフォーマットの原型を、フレッドがすでに作り上げていたのです。

    ジョン・ウィズデンとの意外な関係

    実はフレッドとジョン・ウィズデンは、もともと同業の同志でした。1859年、フレッドはイングランド代表として初の海外遠征を企画・実施し、その参加選手のひとりがジョン・ウィズデンだったのです。フレッドはこの遠征に携帯式の印刷機まで持ち込み、試合会場にテントを張ってその場でスコアカードを刷るという離れ業までやってのけました。

    ところがその5年後の1864年、ジョン・ウィズデンは自らの年鑑を創刊し、フレッドのライバルとなります。翌1865年版の「ザ・ガイド」では、フレッドがウィズデンについて辛辣な論評を掲載。しかしこの厳しすぎる論評が災いし、同じ1865年、名門クラブのMCC(メリルボーン・クリケット・クラブ)が「ザ・ガイド」への支援を撤回する事態に発展します。

    フレッドはその後まもなく、37歳という若さでこの世を去りました。彼の死とともに「ザ・ガイド」も勢いを失い、1867年以降は他の出版物に吸収される形で姿を消しています。一方、1866年版のウィズデンには「選手個人への論評は避ける」という趣旨の一文が書かれており、これはフレッドがMCCと衝突した一件を反面教師にしたのではないか、とも言われています。

    ライバルであり先輩であり、かつて同じ船で海を渡った仲間でもあったフレッド・リリーホワイト。その失敗を横目に、ウィズデンは慎重に生き残りの道を選んだ——そんな構図が見えてきます。

    「ファイブクリケッターズ・オブ・ザ・イヤー」の知られざる歴史

    ウィズデンの名物企画のひとつ、ファイブクリケッターズ・オブ・ザ・イヤー。実は現在の形に落ち着くまで、いくつかの変遷がありました。

    最初はポジション別の表彰だった

    賞の始まりは1889年。この年は「シックスグレート・ボウラーズ・オブ・ザ・イヤー」として、偉大な投手6人を表彰する形でスタートしました。翌1890年は「ナイングレート・バッツマン」、1891年は「シックスグレート・ウィケットキーパー」と、毎年テーマを変える実験的な試みが続きます。そして1892年以降、ポジションを問わず5人を選ぶ現在の形式に落ち着きました。

    「一生に一度しか選ばれない」というルール

    この賞の最大の特徴は、同じ選手が二度選ばれることは原則ないという点です。同じ選手の写真と経歴を毎年掲載するわけにはいかない、という実務的な理由から自然に生まれたルールだといわれています。つまりこの賞は、選手のキャリア全体を評価するものではなく、その年のイングランドの夏をどう塗り替えたかを評価するものなのです。

    伝説の受賞者たち

    このルールには数少ない例外もあります。W・G・グレースは1896年、47歳にして1895年シーズンに打者で2,409得点(平均51.04)、そして投手として196ウィケットという怪物級のオールラウンド成績を残し、5人分の枠をひとりで受け取るという史上でも数人しかいない単独受賞を果たしました。

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    ジャック・ホブスは1909年と1926年の二度選出された、歴史上ごくわずかな例外的存在です。1926年の選出は、グレースが持っていたファーストクラス通算100センチュリー(100得点達成)の記録を破ったことへの特別表彰という位置づけで、厳密には「一生に一度」のルールの例外的な運用とされています。

    そしてドナルド・ブラッドマン。1931年に選出されたこの選手は、説明不要のクリケット史上最高の打者です。生涯を通じた打撃平均は99.94という驚異的な数字で、2位の選手の平均が60点台であることを考えると、その突出ぶりがわかります。日本の野球にたとえるなら、打率8割台の選手がずっと活躍し続けているようなもの——スポーツ史上もっとも破られそうにない記録のひとつとして、しばしば引き合いに出されます。

    直近の2026年版で選出された5人は、ハシーブ・ハミード、シュバマン・ギル、ラビンドラ・ジャデジャ、リシャブ・パント、モハメド・シラージ。実に同一国のチームから4人が選ばれるのは30年以上ぶりのことで、2025年夏のイングランド対インドのテストシリーズでインド側が圧倒したことを象徴する選出となりました。

    まとめ|163年分の歴史が詰まった一冊

    クリケットの「聖典」ウィズデン・クリケッターズ・アルマナックには、記録や統計だけでなく、創刊者ジョン・ウィズデンとライバル、フレッド・リリーホワイトの人間ドラマまで、実にさまざまな歴史が積み重なっています。

    • 1864年創刊、一度も休刊せず163回目を迎えたスポーツ年鑑
    • 編集長ノートから訃報欄まで、記録と文学性を兼ね備えた構成
    • 1938年から変わらない黄色い表紙は「The Big Yellow Book」の愛称で親しまれる
    • ライバル誌の創刊者フレッド・リリーホワイトとの知られざる人間ドラマ
    • 「ファイブクリケッターズ・オブ・ザ・イヤー」にはW・G・グレースやブラッドマンら伝説の受賞者が名を連ねる

    知れば知るほど奥が深いウィズデンの世界。気になった方は、ぜひ下記からもっと深い世界をのぞいてみてください。

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    記事監修

    松村 謙一郎(クリケット指導者・普及活動者)

    日本全国を周りながらクリケットの普及活動を行い、2008年には国際クリケット評議会から日本人として初、史上最年少で、世界で33人目の功労賞を受賞、2009年にはこの100年間でクリケットに功績のあった「歴史上の世界の1000人」にも選ばれた。
    これまで、30年以上日本全国で普及活動しており、出前クリケットCriceTRYなどの体験会やイベントを通じ、初心者向け体験会や指導を行っている。

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