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クリケット雑学

クリケット史上最も物議を醸した1球|「アンダーアーム事件」とは何だったのか

    クリケットの歴史上、「ルール違反ではないのに、最も炎上したプレー」があるのをご存知でしょうか。1981年、たった1球のボウリングが試合を終わらせただけでなく、外交問題にまで発展した事件があります。ルールブックの上では、これは100%正当なプレーでした。それでも世界中から「クリケットを壊した」と大批判を浴びたのです。

    今回は、クリケット史上もっとも有名な「反則すれすれ」の一球、通称「アンダーアーム事件」についてお届けします。ルールを守ることと、競技の精神を守ること——その両方が正しいとは限らない、という難しさが詰まった一件です。

    ※本記事の画像はAIで生成したイメージです。実際の用具や試合の様子とは異なる場合があります。

    舞台は1981年2月1日、メルボルン

    事件が起きたのは1981年2月1日、メルボルン・クリケット・グラウンド。試合は「ベンソン&ヘッジズ・ワールドシリーズカップ」の決勝シリーズ第3戦、オーストラリア対ニュージーランド戦でした。

    当時のワールドシリーズカップは、3カ国が総当たりで対戦する形式の大会でした。スポンサーの「ベンソン&ヘッジズ」はたばこの会社です。今の感覚では意外に思えますが、当時は健康や環境へのイメージが悪い企業ほど、逆にスポーツのスポンサーになってイメージ向上を図るという構図がありました。同じ時期、F1もたばこ会社がスポンサーに名を連ねていたのは有名な話です。

    あと1球、ニュージーランドが勝利に必要なのは「7点」

    試合は最後の1球を残してニュージーランドが勝つには7点が必要という場面を迎えました。

    クリケットの得点をざっくり野球に例えると、フェンスを越えて場外に飛び出す野球のホームランのような一打がクリケットでは一度に6点。地面を転がってフェンスを越えれば4点、あとは1点ずつ走って加算していきます。つまり1球で狙える最大得点は基本的に6点。7点が必要ということは、野球でいうホームランを打っても6点しかはいらず同点止まりで、負けにはならないものの、勝つには理論上ほぼ不可能に近い状況でした。

    それでも「同点で終わる可能性」は残っていました。ここでオーストラリアのキャプテン、グレッグ・チャペルが動きます。

    「地面を転がして投げろ」——衝撃の指示

    グレッグ・チャペルは、当時オーストラリア代表のキャプテンを務めた大物選手で、引退後は自身の名を冠したクリケットショップやクリケットセンターを展開するほどの有名人です。この最終球、彼はボウラーを務めていた実の弟、トレバー・チャペルにこう指示しました。

    「アンダーアーム(下投げ)で、ボールを地面に転がして投げろ」。

    通常、クリケットのボウリングは上手投げで行われます。しかしこの指示は、ボウリングの球のようにボールを地面を転がして届けるというもの。これなら相手はまともに打つことができません。トレバー・チャペルは指示どおりに投げ、ニュージーランドのバッター、ブライアン・マッケニーは案の定バウンダリーを打つことができず、試合はそのままオーストラリアの6点差勝利で終了しました。

    実はルール上、完全に「合法」だった

    ここが最大のポイントです。このプレーは、当時のルールでは反則でも違反でもなく、正式に有効な1球として扱われました。

    なぜなら、それまで誰も試合でボールを地面に転がして投げるようなプレーをした選手がいなかったため、「そんな投げ方を禁止する」という条文自体がルールにそもそも存在しなかったのです。つまりオーストラリアは、ルールという観点だけで見れば、正しく勝利したことになります。

    それでも世界が猛反発した理由

    ルール上は問題なし。それでもこのプレーは世界中から強い非難を浴びました。背景にあるのが、クリケット特有の「スピリット・オブ・クリケット(クリケットの精神)」という考え方です。フェアに、正々堂々と戦うべきだという不文律で、ルールブックには書かれていないものの、クリケットというスポーツの根幹を支える価値観とされています。

    今回のプレーは、この精神に照らせば「勝つために、勝負そのものを成立させなかった行為」と受け止められました。ルールは破っていない。しかしスポーツとしての競技性そのものを壊した、という批判です。

    元オーストラリア代表のオールラウンダーであり、名ボウラーでもあったキース・ミラーは、この怒りを次のように発言したと伝えられている。「昨日、ワンデイ・クリケットは死んだ。グレッグ・チャペルもそれとともに葬られるべきだ。」当時の実況アナウンサーも「自分が見た中で最も恥ずべきプレー」とまで言い切りました。

    スポーツの一場面が、外交問題に発展

    ニュージーランド側の怒りは、単なるスポーツファンの反応を超えていました。当時のニュージーランド首相ロバート・マルドゥーンは、公式にこのプレーを「卑劣な行為であり、スポーツマンシップに反する」と非難するコメントを発表。これに対し、オーストラリア側の首相マルコム・フレイザーもこの一件に言及したと言われており、一国のクリケットの一プレーに両国の首相がコメントするという、異例の事態にまで発展しました。

    ニュージーランドのメディアや世論も激しく反応し、「恥だ」「裏切りだ」といった論調が相次いだといいます。ニュージーランドキャプテンのジェフ・ハウアートも強い失望を示し、のちにレジェンドボウラーとなるリチャード・ハドリーも強い不満を表明しました。

    背景にあった「過密日程」という事情

    とはいえ、フェアに見るべき事情もあります。この時期のオーストラリア代表は、とんでもない過密日程を送っていました。1980年11月から1981年2月にかけて、ワールドシリーズカップに加え、ニュージーランドとの3試合のテストマッチ、インドとの3試合のテストマッチが同時並行で組まれ、およそ80日間で45試合をこなすという、今では考えられないスケジュールだったのです。

    もしこの試合が同点で終われば、決着がつくまで試合が続く可能性がありました。しかもその2日後にはインドとのテストマッチが控えていました。グレッグ・チャペルとしては、選手のコンディションを守るためにも、この試合をこの場で終わらせたいという事情があったとも言われています。

    事件後、ルールは変わった

    この「アンダーアーム事件」をきっかけに、クリケットのルールは改正され、アンダーアームによる投球は原則として禁止されることになりました。ルールの抜け穴をついたプレーが、結果としてルールそのものを変えるきっかけになった、歴史的な出来事です。

    その後、過密日程についても見直しが進み、現在ではテストマッチ・ワンデーマッチ・T20それぞれで代表メンバーを分けて編成する運用が一般的になっています。同じ「代表」でも試合形式ごとにチームが異なることで、消化試合や過密日程の問題を緩和する仕組みが取られているのです。

    まとめ|ルールを守ることと、競技を守ること

    アンダーアーム事件は、「ルールに違反していなければ、何をしてもいいのか」という難しい問いを投げかけた出来事でした。

    • 1981年2月1日、オーストラリア対ニュージーランド戦の最終球で発生
    • ボールを地面に転がして投げる「アンダーアーム」投球は、当時のルール上は合法だった
    • しかし「スピリット・オブ・クリケット」に反するとして世界中から猛批判を浴びた
    • 両国の首相が言及するほどの外交問題にまで発展した
    • 事件後、アンダーアーム投球は原則禁止となり、ルールが改正された

    今日でもこの事件は「アンダーアーム事件」として語り継がれており、クリケットというスポーツが「正しさとは何か」を常に問い続けてきた歴史を象徴する一件と言えるでしょう。

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    記事監修

    松村 謙一郎(クリケット指導者・普及活動者)

    日本全国を周りながらクリケットの普及活動を行い、2008年には国際クリケット評議会から日本人として初、史上最年少で、世界で33人目の功労賞を受賞、2009年にはこの100年間でクリケットに功績のあった「歴史上の世界の1000人」にも選ばれた。
    これまで、30年以上日本全国で普及活動しており、出前クリケットCriceTRYなどの体験会やイベントを通じ、初心者向け体験会や指導を行っている。

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