以前、クリケットのユニフォームに襟があるのはなぜ?白い服・5日間の試合…知られざる「伝統」の話 という記事を書きました。あれは振り返ってみると、男子クリケットの服装の歴史でした。今回はその続編、女子の服の歴史です。
実はクリケットの服装史は、男子と女子でまったく別の道を歩んできました。男子が白い服の伝統を守り続ける一方で、女子には女子だけのもうひとつの服装史があります。その主役は「スカート」でした。イングランド代表の女子選手たちがズボンを穿くようになったのは、なんとつい30年ほど前、1997年のことです。
しかもこの話、昔話では終わりません。2023年にはイングランドの女子サッカーとウィンブルドンが、2025年には日本のなでしこジャパンが、それぞれ「白」と決別しています。クリケットのキュロットから始まった女子アスリートとユニフォームをめぐる90年の物語を、サッカーやテニスまで横断しながらたどってみます。
※本記事の画像はAIで生成したイメージです。実際の用具や試合の様子とは異なる場合があります。
1934年、選んだのは白いキュロットだった
話は1934年に遡ります。イングランド女子クリケット協会(Women’s Cricket Association)が、史上初となるオーストラリア・ニュージーランド遠征を前に、代表チームの公式ユニフォームを決めようと特別委員会まで作って議論しました。
そして選ばれたのが、白いブラウスに白い膝丈ソックス、そして白い「キュロット」でした。日本でいうキュロットスカートと同じく、見た目はスカートなのに下が分かれてズボン状になっているものです。
規定はやたらと細かく、膝立ちした時に裾が地面から約10センチ以内に収まる長さでなければならないという決まりまでありました。つまり「これ以上短くしてはダメ」という加減まで管理されていたわけです。膝をついたときに裾がほぼ床に届き、立ち上がれば膝がしっかり隠れる長さ——まるで昔の学校の制服検査のような「膝立ちテスト」が、代表選手たちにも課されていたのです。
ところがこの初代キュロット、作りがあまり良くなかったようで、遠征中にすぐ型崩れしてしまいました。またの部分がだらんと垂れ下がってしまい、当時の記録には「まるで赤ちゃんのおむつのようだった」と書かれています。イングランドの初代女子ユニフォームは、現場で「おむつ」と呼ばれてしまっていたのです。

なぜスカートだったのか——「男の真似はしたくない」
ここで大事なのは、なぜスカートが選ばれたのかという点です。当時の女子クリケット協会の考えはこうでした。
「私たちは男子クリケットのおまけじゃない。女性がプレイする独自のスポーツなんだ。」
そのアイデンティティを一目で示す装置が、スカートだったのです。
これはイングランドだけの話ではありません。オーストラリアもニュージーランドもキュロットを採用しました。1934〜35年の遠征で、西オーストラリアのチームがズボンを穿いた際には、南オーストラリア女子クリケット協会の幹部が「恥さらしだ」と激怒し、こう言い放ったと伝えられています。
「私たち女性は男の真似をしたんじゃない。クリケットをプレイしながら、できる限り女性らしくありたいのよ」。
当時の感覚では、ズボンを穿くほうがむしろスキャンダルだったわけです。
選手たちはスカートを嫌がっていたのか
「昔の女子選手はスカートを強制されてかわいそう」——今の感覚だとつい、そう思ってしまいます。でも、これがそう単純ではありません。
1993年、ズボン導入のわずか4年前です。イングランド代表主将カレン・スミジーズ選手はインタビューでこう答えています。
「ズボンなんて穿いたら、私たちの何人かは男に見えちゃうよ。変える理由なんてないでしょう。キュロットなら遠くから見ても、女子の試合だってわかるんだから」。
彼女たちにとってスカートは屈辱の象徴ではなく、むしろ誇りでした。自分たちの競技が男子クリケットに飲み込まれないための、旗印でもあったのです。

1997年8月、ブリストルの革命
しかし1990年代、女子クリケットはどんどんアスレチックになっていきます。その象徴が、イングランドの伝統的バッター、ジャン・ブリテン選手でした。カバーの位置でのダイビングキャッチの名手で、ワールドカップ通算19キャッチという記録を今も持つ選手です。
スカードで芝の上にダイビングしたらどうなるか、想像してみてください。そう、彼女の膝はいつも擦り傷だらけでした。この生々しい膝の擦り傷こそが、「もうスカートは無理だ」と関係者を納得させた決め手のひとつだったと言われています。
そして1997年8月、ブリストルでの対南アフリカ戦(ODI=1 Day International)。イングランド女子代表がこの試合で、史上初めてズボンを着用しました。後に「女子クリケット革命」と呼ばれる瞬間です。ちなみに後の大スター、シャーロット・エドワーズ選手が代表デビューしたのは、その前年1996年。つまり彼女は、スカートと膝丈ソックスでデビューした最後の世代なのです。
翌1998年には女子クリケット協会そのものが臨時総会を開いて解散を決議し、女子クリケットは男子と同じイングランド・ウェールズ・クリケット委員会(England and Wales Cricket Board)の傘下に入ります。女性らしさで差別化する時代から、プロの競技としてお金と人を注ぎ込む時代への転換でした。
そして面白いことに、スカートからズボンに変わったことで、メディアや観客の視線が「彼女たちが何を着ているか」から「彼女たちがどんなプレイをするか」に移った、という指摘もあります。服装の話題が消えて、初めてプレイそのものが語られるようになったのです。

消えていった女子だけの協会たち
ここで少し視点を変えて、組織の話をさせてください。実は服だけでなく、女子クリケットは協会も男子とは完全に別物でした。
イングランドの女子協会は1926年設立。オーストラリアにも1931年から独自の女子協会、オーストラリア女子クリケット協会(AWCC)がありました。そして1958年には、オーストラリア・イングランド・オランダ・ニュージーランド・南アフリカの女子協会が集まり、国際女子クリケット協会(International Women’s Cricket Council、IWCC)という世界統括団体まで作っています。男子のICCとは完全に別組織でした。
これがどれだけ本気の組織だったかというと、女子ワールドカップの開催は1973年。男子の第1回ワールドカップは1975年ですから、女子のほうが2年早いのです。世界初のクリケットワールドカップは、女子たちが自分たちの手で作った大会だったということになります。
ところが1990年代後半から2000年代にかけて、この女子だけの世界が次々と幕を閉じていきます。まずニュージーランドが1992年に男女統合。イングランドでは1998年、女子クリケット協会が臨時総会で自ら解散を決議して、男子のイングランド・ウェールズ・クリケット委員会に運営を委ねました。オーストラリアも2001年末から男子のオーストラリア・クリケット委員会との統合を進め、2003年に合併完了。このとき誕生したのが、今のクリケット・オーストラリア(Cricket Australia)です。
そして総仕上げが2005年。国際女子クリケット協会(IWCC)が国際クリケット評議会(ICC)に統合され、世界レベルで男女のクリケットがひとつの組織になりました。各国の協会にも同じ統合が求められ、1926年から80年近く女性たちが自分たちの手で運営してきた組織は、ここでいったん姿を消したのです。
この統合には功罪両面があります。お金と露出は劇的に増え、プロ契約やスタジアムが整い、今の女子クリケットの隆盛があるのは間違いなくこの流れのおかげです。一方で、「男の真似はしたくない」という思想は服装だけでなく組織にも貫かれていて、それがスカートとほぼ同じタイミングで終わったとも言えます。1997年のズボンと2005年の組織統合は、同じひとつの物語の表と裏なのです。

白と決別したのはクリケットだけではない——2023年、ライオネスの白いショーツ
舞台は変わって女子サッカーです。イングランド女子代表、通称「ライオネス」のユニフォームは、伝統的に上下真っ白でした。ところが2022年、地元開催のユーロ(欧州選手権)で優勝を成し遂げたそのチームから、ある声が上がります。「白いショーツ、なんとかならないのか」。
理由は生理です。試合の日に生理が重なるかもしれない。白いショーツだと、経血が滲んだりしたら一目でわかってしまう。ピッチには何万人もの観客がいて、テレビカメラは超高解像度です。その不安を抱えたまま90分走り続けるのは、あまりにも酷だ——
選手たちの働きかけを受けて、イングランドサッカー協会が動きました。2023年4月、ワールドカップを前に発表された新ユニフォームで、ホームのショーツを白から青に変更したのです。ちなみにその前年にはマンチェスター・シティの女子チームがひと足早く白いショーツをやめていましたし、フランス女子代表なども同様の変更に踏み切っています。2020年代の女子サッカー界では、白いショーツの廃止がひとつの世界的な流れになっていたのです。

ウィンブルドン130年の白い掟が緩んだ日
この波は、ある伝統の総本山にも届きます。テニスのウィンブルドンです。ウィンブルドンといえば「ウェアは白」という鉄の掟で有名で、オフホワイトもクリーム色もダメというレベルの徹底ぶりが、1877年以来ずっと続いてきました。
でも考えてみてください。上が白ということは、その下も白なのです。生理と大会が重なった選手は、どれだけの不安を抱えて球場に立っていたか。白いウェアの下にたとえばピンクの下着が入ってしまうとスケて目立ってしまうため、下着も白でなければならなかったのです。
イギリスのヘザー・ワトソン選手はこう明かしています。「白いウェアを気にする心配から、大会中に生理にならないようピルを飲んで調整していた」。試合のためではなく、服のために体をコントロールしていたわけです。
選手たちの声の高まりを受けて、主催のオール・イングランド・クラブは2022年11月に規定の緩和を発表。2023年大会から女子に限り、スコートの裾より短いことを条件に、濃い色のアンダーショーツの着用が認められました。130年の伝統に、初めて選手の体の事情による例外が設けられた瞬間です。

そして2025年、なでしこジャパン
さて、日本はどうだったのか。実はこれ、他人事ではありませんでした。きっかけは2024年のパリオリンピックです。なでしこジャパンはアウェー用の上下白のユニフォームを着用したのですが、汗でインナーが透けて見えるという画像がSNSで拡散されてしまいました。選手を応援するのとはまったく違う視線が向けられてしまったのです。
でも問題は「透け」だけではありませんでした。白いパンツには、もっと前から選手たちを悩ませてきた事情がありました。ここでもやはり生理です。日本サッカー協会のチームマネージャー、山本りささんはこう明かしています。
「試合の日に生理が重なった選手からは、『今日、白なの……』という声が以前から上がっていた」。白いユニフォームで試合中に経血が滲んでしまった苦い経験を持つ選手もいます。雨の日は、不安がさらに増します。SOMPOホールディングスが2025年12月に発表した調査では、女子選手の45%が白いユニフォームで困ったことがあると答えています。
日本サッカー協会はまず、用具メーカーのアディダスと組んで「透けない白パンツ」の開発を進めました。ところが軽さや通気性といった機能を保ったまま完全に透けなくするのは困難だと判明します。そこで決断したのが、女子は男子と同じ配色にするという、長年の慣例の転換でした。
2025年2月からはアウェー用の白ユニフォームでもパンツを黒に変更。同じ年の11月に発表された新ユニフォームでは、男子が青シャツに白パンツなのに対し、女子は上下とも青となり、パンツから原則として白が消えました。
高校2年生の時から代表で戦ってきたベテラン、熊谷紗希選手の言葉が印象的です。「結構前から声が上がっていたが、ようやくだなというのが正直な気持ち」。
キャプテンの長谷川唯選手もこう語っています。「ロッカーで話すのは、スパッツを履いたりして透けないようにしている人もいたので。もしそれが白じゃなかったら履かないけど、白だから履くという選手もいたと思う。普段と違うことをしなければいけないのは、正直あったと思います」。
イングランドのクリケットがスカートで膝を擦りむいていた時代から、90年かけて形を変えて、同じ構図が残っていたのです。

まとめ|ユニフォームを誰が決めるのか、という90年の物語
1934年、女性らしさの証として生まれた白いキュロットは、63年間にわたって女子クリケットの象徴であり続け、1997年、ブリストルで歴史の役目を終えました。
そしてその裏では、女性たちが自分たちの手で70年以上運営してきた各国の女子協会が次々と男子の組織と統合され、2005年、国際女子クリケット協会のICC統合をもって、女子クリケットの独立王国も静かに幕を閉じています。
それから四半世紀近くを経て、2023年にはイングランドの女子サッカーとウィンブルドンが、2025年には日本のなでしこジャパンが、それぞれ白と決別しました。
- 1934年、イングランド女子クリケット協会が白いキュロットを公式ユニフォームに採用
- 1997年8月、ブリストルでの対南アフリカ戦でイングランド女子代表が史上初めてズボンを着用
- 1958年設立の国際女子クリケット協会(IWCC)は2005年、国際クリケット評議会(ICC)に統合された
- 2023年、イングランド女子サッカー代表「ライオネス」がホームショーツを白から青へ変更
- 2023年、ウィンブルドンが130年の歴史で初めてアンダーショーツの色に例外を設けた
- 2025年、なでしこジャパンがユニフォームから原則として白パンツを排除した
クリケットの時代の問いは「スカートかズボンか」、つまり見た目のアイデンティティの問題でした。今の問いは「白か白じゃないか」、つまり選手が安心してプレイできるかどうかの問題です。
中身は変わったけれど、根っこは同じ。それは「女子アスリートのユニフォームを、誰の目線で決めるのか」ということです。90年前、キュロットを決めたのは委員会でした。今、ショーツの色を変えさせているのは、選手たち自身の声です。ユニフォームの歴史は、女子スポーツが自分の声を獲得してきた歴史でもあるのです。
クリケットには、こうした「へえ」と言いたくなる話がまだまだたくさんあります。気になった方は、ぜひ下記からもっと深い世界をのぞいてみてください。
もっとクリケットを楽しみたい方へ
このコラムのもとになった、クリケットの雑学や歴史をゆるく語るポッドキャストを配信しています。通勤や家事のおともに、ぜひ聴いてみてください。
記事監修
松村 謙一郎(クリケット指導者・普及活動者)
日本全国を周りながらクリケットの普及活動を行い、2008年には国際クリケット評議会から日本人として初、史上最年少で、世界で33人目の功労賞を受賞、2009年にはこの100年間でクリケットに功績のあった「歴史上の世界の1000人」にも選ばれた。
これまで、30年以上日本全国で普及活動しており、出前クリケットやCriceTRYなどの体験会やイベントを通じ、初心者向け体験会や指導を行っている。